鷹狩文化研究会発足にあたって


鷹狩の歴史は古く、「播磨国風土記」に応神天皇が鈴喫岡(すずくいおか)で鷹狩したという記載から始まる。その後、「日本書記」第十一仁徳天皇の巻、第七段にも登場する。


七代将軍徳川綱吉が翔類憐れみの令を発布。鷹と鷹匠たちの闇の時代にはいるが、
八代将軍徳川吉宗の時代になり、鷹狩が復活、享保の改革時に、関東周辺には御鷹場が設けられた。
東京では三鷹や駒場(現東京大学教養学部とその周辺)がそうであったように、埼玉には川口から大宮まで広がる見沼田んぼという関東最大級の緑地帯がある。ここも吉宗が開墾を命じた地域であり、その周辺は紀州藩の御鷹場であった。千葉は水戸藩、東京武蔵野は尾張藩の鷹場であった。見沼たんぼは、一時消滅しかかった白鷺も少しづつ増えており、青鷺やマガモなどが生息する地として甦っている。





この地を耕し守っているのは600軒あまりの農家である。年々、高齢化で田畑の減少し、打開策として一般に菜園として解放しているが、肥沃な農地を保存することは難しい。

このような中にあって見沼田んぼには、野生のオオタカやコチョウゲンボウも見られ、かつてこの地が鷹狩の地であったことを彷彿とさせる。「鷹狩」が天皇や将軍の娯楽とされているが、実は軍事的役割を果たし、鷹狩を行うために借り上げた農地の借用料を支払い、農家を保護していたことはあまり知られていない。

こうした我々が住む地の鷹狩の歴史を掘り起こし、地域と鷹(鷹狩)、自然と地域を見つめ直し、美術工芸品まで高められた鷹狩文化を発掘検証するために、2013年12月24日「鷹狩文化研究会」を発足しました。映画「ぬくめどり」の上映会や講演会、また海外の鷹匠との交流や情報もお届けしていきます。




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