2014年6月26日木曜日

鷹狩を復興させた徳川吉宗


徳川家康と並んで鷹好きだったのが8代将軍徳川吉宗。幕府の財政再建の為、新田開発や倹約、また法令の整備などの「享保の改革」を行った。

吉宗は、米将軍、鷹将軍と呼ばれ、紀伊藩から幕臣となったもののなかには鷹匠同心3人、鳥見2人がいる。家綱が亡くなり、1周忌が過ぎたあたり(享保5年)から鷹狩を始めたとされ、1月4日を鷹狩始めとし、亀戸、葛西、小松川、駒場野、隅田川川辺、品川、王子で行った。5月、9月、10月には行っていないことからすると、農繁期には鷹狩を行わなかったことが伺える。また、農家には農地を借り上げ代を支払っていたので、農家にとって鷹狩は農閑期の収入源でもあった。

享保11年には大掛かりな鷹狩が行われ、幕臣は2772人、勢子は、関東一円から農民数万人が集められた。捕った獲物は、イノシシ12頭、狼1頭、 鹿470頭であった。
鷹狩については、「鷹野、鹿狩をなすも、一身の楽と思ふ者もあるべきとなれどさにあらず、治世に武を講ずべきたよりと、下の利病をしる」(有徳院殿御実紀付録)とあり、軍事訓練と民情視察に役だっていると言っているが、民衆は民衆で鷹狩に駆り出され難儀したとされる。

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